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退 屈 な 人 へ 第27回定期演奏会より 2003.6.15
先月、韓国からトランペット奏者のアン・ヒーチャン氏を招いてコンサートを開催した。毎年行っている「吹奏楽の夕べ」のソリストとして、わざわざ日本に来ていただいた。
予定では本番の前々日に来日して、リハーサルをしてから本番に臨むはずであったが、サーズの影響にも関わらず巷ではゴールデンウィークの混雑のため、予定していた飛行機の切符が取れなかったそうで、やむなく前日夜の来日となってしまった。
我々は前日に豊田で1時間の本番があり、学校に到着するのが6時過ぎ、片づけを済ませると7時だ。深夜まで生徒を残してリハーサルを強行することも出来ず、やむなくゲネ本となった。
プログラムはハイドンのトランペット協奏曲、ビバルディの2本のトランペットのための協奏曲、アンコールで3本のトランペットのためのイスパニア・カーニ。そして、レスピーギのローマの松でトランペットのソロを担当してもらう、というものだ。欲張り過ぎと言われても仕方のない超豪華メニューだ。しかも、ビバルディの相方は名フィルの藤島氏が務めてくれるとなると、なおさらだ。彼は、急遽リハーサルが出来なくなったアンさんに変わって練習にもつき合ってくれた。感謝に堪えない。
本番当日、前日の疲れを感じながらも朝7時過ぎから合奏を始めた。前日は80人ほどでの本番だったが、今回は会場が近いこともあり、楽器を始めたばかりの新人を含めた全員でステージにのることにしている。総勢140名ともなると果たしてステージに乗るのだろうか、との一抹の心配があったが、本校の合奏室にでも何とか入れるのだから、コンサートホールのステージにも充分乗れる、と判断した。
したがって80名での練習はしていたが140名での練習をあまりしていない。本番当日の朝、重要な練習をしなくてはならないはめ、となった。この人数の違いが手強い。バランスのとりかたが違うのは当たり前だが、微妙なテンポの取り方を間違えてしまうと、ただ、うるさいだけの演奏になってしまう、朝から気の抜けない練習となった。時計を見ながらのピリピリとした練習は、時間の過ぎるのも早い。1時間の練習の後、楽器を片づけてトラックに積み込み、期待と不安を抱えて本番会場であるコンサートホールへと向かった。
ステージでの段取りを済ませ,地下のリハーサル室で通常はしない、ステージリハ前の練習をした。140名での合奏が今ひとつしっくりこないからだ。当然といえば当然であるが、朝の1時間だけでまとめることが出来なかった。普段は本番での最善の演奏を理由にサボっているのだが、与えられた時間を最大限使って練習に取り組んだ。アンさんや藤島氏の期待に応えなくてはならない、と背伸びしていたのかもしれない。もちろんその後のステージリハもキッチリ行った。
ステージリハが終わった時、ふとステージ上手に目をやると藤島氏とアンさんの二人の姿があった。急いで駈け寄って、打ち合わせをしたいところだが、私には韓国語はもちろんアンさんの得意な英語もサッパリ話せない。広島弁なまりの日本語とジェスチャー、後は得意の笑顔と握手で凌ぐことしか選択肢はない。それでも藤島氏の仲介によって首尾良く打ち合わせが出来た。地下練習室での練習には参加しないで、ステージリハで初合わせをすることが決まった。
顔では笑顔を装っているが内心無能な自分が情けない。目上の人や外国人を前にするとやたらヘコヘコしている輩を時々目にするが、まさにその時の私がこれで、何とも嘆かわしい。(みなさん、英語だけはしっかり勉強しておきましょう)
落胆と緊張、そして焦りを伴って再び地下のリハーサル室へ急いだ。クヨクヨしている暇はない、すぐにコンチェルトの練習をしなくてはならなかった。
練習を開始すると間もなくアンさんがやってきた。トランペットを取り出し、どうやらステージリハの前に合わせるのだ、という。打ち合わせる間もなく、すぐに曲を始めることになった。テンポも前奏が終わってからアンさんのソロに合わせるしか手がなかった。ハイドンのコンチェルトは譜面上では3楽章に1カ所だけカデンツがあるのだが、なんと彼は3カ所もカデンツを入れてきた。全く急な出来事で、鳩が豆鉄砲を食らったような我々の動揺を素知らぬ顔で平然と、しかも、超絶技巧で演奏してしまった。そのカデンツはアンドレのものでもドクシチェルのものでもなく彼のオリジナルで、楽譜もない。指揮をする私としてはゲネホンで、楽譜が無いとなると、かなりのピンチである。同様を隠せない私を見かね、カデンツ後の入り、を何度か合わせてくれた。楽譜通り演奏するだけでも大変なことなのに、彼は超絶技巧を交えたカデンツを3カ所にも入れてしまうのである。
ビバルディーでもトラブル発生である。ソロ譜とバンド譜の小節数が合わないのだ。練習の時から変だとは思っていたが予感は的中していた。伴奏側の小節数を増やすことで何とかクリアーした。本番を目前に控えているにもかかわらず、続けてイスパニアカーニを合わせるという。強靱な体力に驚きを禁じ得なかった。
その後、ステージリハを行ったが、ハイドンはバランスを取るだけで通しての練習はしなかった。ところが、今回が初めてというイスパニアカーニは2度も通し練習を行った。本番に対する厳しさとプライドが顔をのぞかせた。
そしてプログラム最後の松のリハーサルに入った。アンさんと藤島氏に入ってもらって行うリハーサルは、いつもとは違う緊張感が漂う。彼らとの打ち合わせをしないで進めているのだから、ある意味では失礼極まりないのだが、時間の関係で許していただくこととした。
いつものように1楽章から練習に入ったが、2楽章のカタコンブのソロで、いきなりアンさんが自分のテンポで演奏し始めた。通常は四分音符60ぐらいで演奏するのであるが、彼は40少々で見事に吹いてしまったのだ。しかもそのテンポを全く変えようとはしなかった。
これがプロのオーケストラでの指揮者と楽員とのバトルなのか、と初めて気づいた。改めてアンさんのプロ意識を見せつけられた。幸いカタコンブのソロは彼自身の演奏場所設定のため、2度ほど練習することが出来た。その2度目に、ほんの少しだけ私の棒を見てくれた、私のことを指揮者と認めてくれたのだ。喜びを感じるとともに、このままでは引き下がれない、と無謀な意欲が湧いてきた。私だって、多少自分の音楽は主張したい、と。 本番は満席のお客さんの声援を受け、極めてスムーズに演奏できた。ハイドンでは3カ所のカデンツも見事に決まり、アンさんとの音楽のやりとり、つまり音楽を通してのお話が出来た。これまでのコンチェルトではソリストに合わせるのが精一杯で、自分の主張なんてできたことがなかった。ところがアンさんは私の投げかけを受け止め、さらに返してくれたのだ。今日会ったばかりなのに、以前からの仲間のような音楽のやりとりが、たまらなく快感だった。
そしていよいよローマの松だ。リハーサルの2回目の、あの一瞬の目配せで、密かにもくろんだことがあった。本番のテンポはアンさんと私の中間、つまり50ぐらいでやろうと。2楽章のソロはすぐにやってきた。満を持して私のテンポをはっきり示すと、彼が私に寄せてくれているのが分かった。心の中で、これだ、と小さく叫んだ。もちろんアンさんは完璧で、見事なソロだった。
終曲のアッピア街道の松では、藤島氏とアンさんがプロの業とパワーを披露し、それに刺激された子ども達の若いエネルギーが激しく燃焼して、圧倒的なクライマックスを築き上げた。何時までも続く拍手の中で、互いに喜びを分かち合い、感動に浸ることが出来た。 桐田正章
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